35歳の若さで没

1781年、25歳のモーツァルトはザルツブルクを出てウィーンに定住。フリーの音楽家として演奏会、オペラの作曲、レッスン、楽譜の出版などで生計を立てた。
ウィーンではピアニストとして人気を誇ったが、晩年までの数年間は収入が減り、借金を求める手紙が残されている。
モーツァルトに怖れをなした宮廷楽長・アントニオ・サリエリらのイタリアの音楽貴族達が裏でモーツァルトの演奏会を妨害した為、収入が激減した為と考えられている。
1791年、ウィーンでレクイエムの作曲中に35歳の若さで没した。